2010年 06月 12日
東洋のマチュピチュ |
この四国の山奥に2万人を超える人が住んでいたという・・・かつて世界一の産銅量を誇った別子銅山、
今、再び偉大な産業遺産として脚光を浴びようとしています。
長年月に絶えられないのか一部大きく崩れた煉瓦の塔、
高い技術で積み上げられた石の壁、急傾斜地であるがゆえに集石選鉱運搬にその困難さが偲ばれます。
当時、各処に最先端の技術が投入され、この煉瓦積みにも山奥の工場とは思えない美しさがあります。
どう使われていたのか知る由もありませんが鉄骨の部分は殆ど消え赤錆となって石を染めています。
今、再び偉大な産業遺産として脚光を浴びようとしています。
長年月に絶えられないのか一部大きく崩れた煉瓦の塔、
高い技術で積み上げられた石の壁、急傾斜地であるがゆえに集石選鉱運搬にその困難さが偲ばれます。
当時、各処に最先端の技術が投入され、この煉瓦積みにも山奥の工場とは思えない美しさがあります。
どう使われていたのか知る由もありませんが鉄骨の部分は殆ど消え赤錆となって石を染めています。
by jyoh33
| 2010-06-12 13:49